探針

ものの見え方をふやしたい

定時交信

南極で暮らしたいと考えていた時があった(ほとんど忘れかけていたぐらい微かに)。日々暮らしているこのあたりとは似ても似つかないし、生命の危険だってちょうどよくある。閉鎖空間で人間関係も限られているから可処分時間がふんだんにとれる。確かにちょっと楽しそうだ。プルーストの『失われた時を求めて』を読むために刑務所に入ろうと考えるのに似ているかもしれない。

それから数年、感染症が新たに発生したおかげで空間を共にしない生活様式がいまのところのデフォルトになっている。3月の時点では単に閉じこもっていることが奨励されていたし、社会まるごとがそれを許容していたから、ゴロゴロしていた。寝転がるのにも飽きて(ずっと転がっているのは疲れる)、NetflixかAmazonPrimeVideoでも観る向きになった。

隔絶された空間にいる状況下だったから南極のことを思い出して、『宇宙よりも遠い場所』を観た。4人の女子高生が南極へ行く話のどこがどうおもしろくなるんだ?といぶかしんでいたけど、おもしろかった。伏線が自然でしっかりと丁寧に脚本が練られているのがわかる。

とくに12話、最終話の前が一番よかった。物語の4人の主人公のうち南極に目的があるのは小淵沢報瀬だけで、中学生のとき南極で行方不明になった母への気持ちを決着させるために南極へ行く。母が行方不明になってから毎日、日記に近いメールを、返ってくるあてもなく母に送っていた報瀬の気持ちにシンクロできてしまうのがすごい。

むしろ当然と考えるべきかもしれない。届いているかもわからない文章を書き連ねて自らの、自らのみの存在を証明しているわけだから。内容は二の次、いまの場所と時間ぐらいでいい。メッセージが存在していること、それ自体がメッセージになる。どんな交信も最初は返信のない定時交信だ。あと、13話もいいよ。